2008年12月8日

08/11/06-9

歴史6
そしてAlpineA110Berlinette。1600S。白いほうが初期のタイプ。青ラインの入っているのは当時のサロンで展示したものかしら?なんて勝手に想像をふくらました。前輪部分の車高が日本でみるより高い。本来はそういうものなのかも。ちょっと低く目にして格好良くみせるのは日本流なのか。

ここまで来ると見慣れたインテリアとなる。これは青い方の1600S。もちろんこちらは本物・オリジナルでウチのは皮被りですが。シートに座ってやっと落ち着いた。

こちらは白にブルーラインの方。後期より若干タイトに感じられる。イエガーのメーターが格好いい。

赤の1600S。これこそパリへ向かうTGVの中で見た雑誌のそれである。雑誌でみたその本物が、その何時間後、そこにあるっていうことにしばし感激した。雑誌に綺麗な写真がたくさん写っているので、ここはじっくり見るのに専念してあんまり写真を撮らなかった。雑誌上に内部の写真で後部エンジンの上のへこみ部分に丁度バックが収まっている写真があるのだけれども、それもそのまま同じだった。

奥さんにジャンさんの思い出を聞いた。
家族でクルマでどこかに出かけるとき、きっちり2時間後にそこに到着するときめたら、2時間きっかり。1分の遅れも早すぎも許さなかった。仮に体調が悪いと言っても、窓を開けて空気を吸いなさい。と言って、ちょっとも停まってくれなかった。そういう人だったのよ。って笑っていた。人柄を良く表現した当時の逸話を聞いていたら、ジャンさん、写真でしか見たことがないその人が、すぐそこにいるかのような気がしてきた。

奥さん、アルピンといっても昔はなんとなくしか理解していなかったらしい。まあ過去に栄光の歴史があるのよね。ぐらいにしか思っていなかったと。だけれど、ジャンさんが亡くなり、ディエップに銅像を建てた時の除幕セレモニーで、フランスからのみならず、それこそ日本からも、総勢800人以上のクレイジーな人たち(談・そのまま)が世界中から集まったのを見たとき、そのすごさを目の当たりにして、ありがとうって、涙が止まらなかったそうだ。身体の芯にジーんと来てしまいました。

ご飯も食べずに、いちいち念入りにパチパチ写真を撮っている(お腹がすいているかいないかなんてまったく考えもしなかったなあ・・)若造につきあってくれた奥さんに感謝。とにかくまた来てください。その時は、旦那が一台一台の歴史について語ってくれるから!と嬉しいお言葉。感激しながらコレクションを後にした。もちろん。また伺わせてもらいます。(A310以降はあまり見る時間が無かった。次回。ファンの方すいません。)

その次の日が朝便での帰国だった。早朝暗いリールを出てロアシーに向かった。成田便の機上、機内誌をペラペラ見てたら、その時の機内ビデオの番組、タイトルが「the blue story」でA110の写真が。

えぇまた。と思ったけど、見始めたらマトラのドキュメントだった。ロケットやミサイル等の製造をしていたマトラが、クルマの製造を始め、いくつかの乗用車を発売し、フォーミュラーカーの開発と参戦に至るスト-リ-。

エルフってそういう風にして出来たんだ~。とか、 フォミュラーカーのための莫大な開発費を、アルピーヌを差し置いて、フランス政府からもらったんだ~。とか、へえー。とか思いながら見た。アルピーヌ的には当時のサイドストーリーであるわけだが、マトラのある種大企業的なストーリーとの対比に、なにかアルピーヌというもののその魅力の一端を見たようなきがした。
奥さんも言っていたけれども、アルピーヌは基本的にジャン・レデレがひとりで全てを作り上げたのだと。彼がコンセプトを決め、彼が自らデザインをしていたのだと。構造・運動性能・美しさ・レギュレーション等々という、デザインが往々に持つ様々な、ある時は相容れない条件を、ある形に昇華するときに必要とされる論理・思考。その合理性の中にも消し去ることの出来ない強力な個性・人間性というのか感性みたいなものが、アルピーヌ好きの自分の琴線を揺らす魅力の源であるような気がした。
(長々と駄文すいません。終)

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